とうとうタンゴエクスプローラーの第1編成(KTR001形)は、3輌全ての車輌が廃車・解体が終わり、ついに廃形式となりました。
登場以来、車輛を保有する北近畿タンゴ鉄道のエースとして、30年余りの長きに渡り、活躍をしてきました。
最初は京都口の山陰特急として旧あさしお1号のルートを継承して舞鶴線・宮津線経由(一部は宮福線経由)で運行され、後に大阪口の山陰特急として宮福線直通ルートで運行されました。
一時期は、第1編成のKTR001形と第2編成のKTR011形が連結され、6輌編成で見応えのある重連運用がされた時期もありました。
その後、JR直通乗り入れの役目を終えるものの、京都丹後鉄道線内完結の特急たんごリレー号としても活躍しました。
しかし晩年は、煌びやかな観光特急のハイデッカー構造が仇となり、非バリアフリー仕様のため定期列車としての運用が控えられたことから、運用の機会が少なくなっていきます。
また、洗面・トイレが中間車のKTR002号機に集約されているため、洗面・トイレを装備しない仕様のKTR001号機+KTR003号機の先頭車のみという2輌編成に短縮して運用することができず、運用コストを縮減できなかったことも、運用機会が少なくなる要因のひとつだったと考えられます。
運用機会が減るということは、当然ながら走行距離も伸びないということですから、連動して点検・整備などのメンテナンスの機会も少なくなり、留置線で単に留置される状態が長く続く結果となりました。
KTR8000形の1編成が検査のために後藤入場するタイミングで繁忙期運用される場合には、残るKTR8000形の全4編成が運用に就くことになるので、その場合のみ予備車として扱われる予備車の予備車という位置付けでしたが、故障の度に第1編成から部品を流用して第2編成の性能を維持する手法によって、第1編成は走行不能に陥っていました。
結局、第2編成が特急たんごリレー号の代走運用に起用される機会が稀に見られたものの、2編成ともが西舞鶴運転所の片隅で寂しく朽ちていく姿を晒してしまう結果となって、多くのファンに嘆き悲しまれました。
しかし、その朽ちた姿でも、なお親しみ、愛されているタンゴエクスプローラーでしたが、とうとう第1編成のKTR001形が解体されることが現実となってしまいました。
この悲報を知った多くのファンが、西舞鶴運転所の留置線で解体される様子を見つつ、お別れをするために訪れていました。
第三セクターの中でも、一際に煌びやかなデビューだったことが印象的なタンゴエクスプローラーでしたが、こんなにも寂しい最期を迎えることとなったのは非常に残念に思います。
残された第2編成のKTR011形は、この先にどのような処遇が待っているのでしょうか。
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